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東京高等裁判所 昭和61年(ラ)321号 決定 1988年3月25日

抗告人

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右指定代理人

高須要子

山口仁士

相手方

福田傳次郎

外四五名

右相手方ら代理人弁護士

野島信正

外三名

主文

原決定中、相手方半藤美枝、同棚瀬正勢、同地田泰治、同坂井武、同福海壽、同根岸重作及び同高見テルに関する部分を取り消す。

右相手方ら七名の本件訴訟救助付与の申立てをいずれも却下する。

抗告人のその余の抗告をいずれも棄却する。

理由

一抗告代理人は、「原決定中、相手方らに関する部分を取り消す。相手方らの本件訴訟救助付与の申立てをいずれも却下する。」との裁判を求め、その抗告の理由は、別紙抗告理由補充書に記載のとおりであり、これに対する相手方ら代理人の反論は、別紙意見書に記載のとおりである。

二相手方らは、本件訴訟上の救助付与決定は、本案訴訟の進行上抗告人に対し何ら実質上の不利益を与えるものではないから、本件抗告は、抗告権を有しない者から提起されたもの又は抗告権の濫用として却下されるべきであると主張するので、まずこの点について判断する。

一般に民事訴訟法上許否いずれかの裁判についてのみ即時抗告の認められる場合には、法文上その旨明定されているのが通常であるところ、訴訟上の救助に関する裁判に対し即時抗告をなしうる旨を定めた同法一二四条には即時抗告の対象について何らの限定もおかれておらず、また、訴訟上の救助付与に対する不服申立てと類似した機能を営む救助付与の取消しの申立てについては、同法一二二条で利害関係人に申立権が認められ、本案訴訟における相手方は当然これに含まれる者と解される。更に実質的にみても、訴訟費用当事者負担の原則は一定範囲の費用を訴訟制度の利用者に利用の対価としての手数料等として負担させ、これを利用しない者との衡平を図るとともに、これにより濫訴を防止してその限度で相手方当事者を保護する機能を有するが、訴訟上の救助の制度は、右原則に基づく取扱いによって貧困者が訴訟制度の利用を事実上阻害され、裁判を受ける権利を損なわれることを防止することにより両当事者の地位の実質的対等を一定限度においてではあるが保障することをその目的とするものである。したがって、本来訴訟上の救助を付与されるべきでない者にこれが付与された場合には、本案訴訟の相手方にも不服申立てを認めることによりこれを是正し、訴訟費用当事者負担の原則をもつ本来の機能を回復させる利益と必要があるものということができる。そうだとすると、即時抗告権を制限する明文の規定がないのにかかわらず、相手方らの主張するように、本案訴訟の相手方が訴訟上の救助付与決定によって本案の訴訟進行上実質上の不利益を受けるか否かにより抗告権の有無を決すべきものと認めるべきである。本件訴訟上の救助決定のされた後記本案訴訟の被告である抗告人は、本件について即時抗告権を有し、また、抗告人の本件抗告の理由及び疎明をみると、即時抗告権を濫用したものとは認められないから、相手方らのこの点に関する主張は理由がない。

三そこで、当裁判所は、当審において新たに提出された資料をも総合して、次のとおり判断する。

1  相手方らは、外一名と共に、破産者豊田商事株式会社(以下「豊田商事」という。)の元従業員一一一名に対しては、豊田商事が不公正な取引方法を用いていることを認識し又は認識しうべきであったのに、積極的に違法な取引を遂行し、相手方ら(外一名を含む。)から金地金の代金名下に現金の交付を受けた共同不法行為責任に基づき、また、抗告人に対しては、抗告人の権限不行使の結果それらの被害を発生させた国家賠償法上の責任に基づき、右元従業員ら及び抗告人を被告として損害賠償請求訴訟(東京地方裁判所昭和六一年(ワ)第三八二九号事件)を提起した者であるが、相手方らは、同訴訟において勝訴の見込みがないとはいえないことが一応認められる。

2 次に、相手方らが、訴訟費用を支払う資力のない者に該当するか否かについて検討する。

(一) 総務庁統計局の家計調査年報によれば、本訴提起前の昭和五九年度において、勤労者一世帯(人員数3.79人)当たりの平均実収入は、全国平均で年間五一三万五三二八円(一か月四二万七九四四円)となっており、相手方らは本件訴訟上の救助を付与されたとしても、訴え提起の手数料を除くその他の訴訟費用については負担を免れない。豊田商事が相手方らに対して行った取引方法は画一的・類似的なものであるうえ、豊田商事については破産宣告がされ、相手方らも破産債権の届出をして破産手続が進行し、豊田商事の業態の内容は相当程度解明されている。豊田商事の被害者からは本訴と同種の訴訟が全国で多数提起されているが、このことは相手方ら個々の事件の難易度を当然に左右するものではない。してみるとその不公正な取引方法の全容を解明し、本案訴訟を追行して被害の回復を図るためには、通常事件と比較して必ずしも著しく多額の費用を要するものとはいえない。しかも他方において、相手方らは、その持家を有する者が比較的多いうえ、本訴提起時既に全員六〇歳を越えており、世帯の中心者として他の家族を扶養する立場にない者が多く、家族と同居する場合にはむしろ扶養を受ける立場にあり、概して日常生活に要する支出は平均をかなり下回るものと推測される(例外的に扶養すべき立場にある者については個別的にこれを斟酌すれば足りる。)。もっとも配偶者以外の親族と同居し同一世帯を構成している者も少なからず存在するが、本件のように核家族化の進行した都市部の世帯においては、世帯を同じくするからといって必ずしも同居の親族の収入をも含めて本人の資力とみるのが相当であるとはいえず、そのようにみることを相当とするような特別の事情の疎明がある場合に限り同居の親族の収入をも含めて本人の資力とみることができるものというべきである。以上によれば、本件については、相手方の年収(同居の配偶者及び右のような疎明のある親族の収入を含む。)が二四〇万円以下の者については、一応訴訟費用を支払う資力のない者に該当するものと認め、右金額を基準として財産、家族構成その他個々の事情を考慮してその該当の有無を判断するのが相当である。

なお、相手方らの各被害額はかなり高額なものが多いが、豊田商事従業員による本件取引の勧誘は一般的に極めて執拗であり、そのためすべての財産を失った者も少なくないことが窺われるから、右高額であることから当然に預貯金等他の財産を有するとはいえないとしても、多くの場合生活を全く犠牲にして預貯金のみに充てることは少なく、生活維持のための資金を手もとに残したうえ預貯金を行うのが通常であると考えられ、また、自己及び家族の生活を維持するのに必要な程度の持家を所有するとしても、そのことから訴訟費用を支払う資力を有するものと当然には推認することはできないが、持家があれば家賃の支出を免れるうえ、これを担保として融資を得ることが可能であり、必ずしも換金のみが資金取得の方法ではないのであるから、これを全く考慮しないことは妥当ではない。なお、訴訟費用を支払う資力を有しないことは救助申立人において疎明すべきものであるから、単に本人の申述のみで足りるものではなく、容易に提出することができる客観的資料を提出する努力を怠ってはならないのであって、このような資料の提出のないことが斟酌されるべきことは当然である。

(二)  右基準に照らすと、相手方半藤美枝、同棚瀬正勢、同鈴木清、同地田泰治、同坂井武、同堤信子、同福海壽、同根岸重作、同高見テルを除く相手方らについては、同居の配偶者を含む相手方らの年収がいずれも二四〇万円以下であり、資力を有するとみるべき特段の資料もないから、訴訟費用を支払う資力のない者と認めるべきである。

(三)  そこで、残る九名の相手方らについて順次検討する。

(1) 相手方半藤美枝(大正一一年生)は、明治三三年生の老母ヨキと二人暮らしであって、経済的に一体の関係にあることが窺われ、ヨキは現住所である渋谷区東四丁目に鉄筋コンクリート造陸屋根三階建居宅(床面積173.70平方メートル)を所有し、年間恩給一五一万一〇〇〇円、駐車料賃料九六万円の合計二四七万一〇〇〇円の収入があるが、自宅の一部を賃貸していたこともあり、また、同相手方自身に株の信用取引の経験のあることが認められる。

(2) 相手方棚瀬正勢(明治四三年生)は、豊島区駒込三丁目の持家に妻(大正二年生)と同居し、年間二九二万七一五九円の年金収入があり、株の信用取引の経験を有することが認められ、他にも事業収入のあることが窺われる。

(3) 相手方鈴木清(大正二年生)は、年間年金二二〇万円ないし二五〇万円の収入があり、中野区大和町三丁目に持家を有するが、その敷地は同人の所有ではなく、家族一名と居住していることが認められる。

(4) 相手方地田泰治(大正七年生)は、中野区新井二丁目の持家に一人暮らしであり、年間年金及び家賃合計二五九万五〇〇八円の収入を有することが認められる。

(5) 相手方坂井武(大正三年生)は、年間年金二〇五万円の収入ではあるが、杉並区宮前三丁目に三七五平方メートルの宅地と床面積一三四平方メートルの持家を有することが認められる。

(6) 相手方堤信子(大正九年生)は、年間二三六万円ないし二五〇万円の収入を有するが、その居住家屋は借家であることが認められる。

(7) 相手方福海壽(大正一三年生)は、小平市中島町の持家(ただし三名共有)に妻(昭和八年生)、長女(昭和三七年生)、長男(昭和四一年生)と同居し、昭和六〇年中に給与(同年六月二二日就職)、年金合計三二八万六〇〇八円の収入があったが、昭和六一年二月一日に右就職を理由として前年一二月に遡り年金二四四万八四〇〇円全額の支給停止がされ、同年六月二二日には就職先での職務変更により給与が月額一〇万〇九〇〇円に減額となるとともに年金が復活することとなったことが認められ、同相手方には少なくとも右年金額と同程度の収入があるものと推定される。

(8) 相手方根岸重作(明治三九年生)は、伊勢崎市柳原町に宅地を有し、その持家に妻(大正四年生)と同居し、年間二六八万四〇〇〇円の年金収入があることが認められる。

(9) 相手方高見テル(大正六年生)は、大田区北千束二丁目に宅地を有し、その持家に養子家族と同居し年間三九六万円の給与を得ていることが認められる。

右事実によれば、右相手方九名中、相手方鈴木清及び同堤信子は訴訟費用を支払う資力のない者と認められるが、その余の者は右資力を有しない者とは認めがたい。

四よって、原判決中、相手方半藤美枝、同棚瀬正勢、同地田泰治、同坂井武、同福海壽、同根岸重作及び同高見テルに対し訴訟上の救助を付与した部分は失当であるからこれを取り消し、右相手方らの本件申立てをいずれも却下し、右七名を除くその余の相手方らに対する本件抗告はいずれも理由がないから棄却し、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官丹野達 裁判官加茂紀久男 裁判官河合治夫)

別紙抗告理由補充書

抗告人は、頭書事件の抗告理由について、次のとおり補足して述べる。

原決定は、本件の本案訴訟である前記当事者間の東京地方裁判所昭和六一年(ワ)第三八二九号損害賠償請求事件(以下「本案訴訟」という。)について、民事訴訟法一一八条に基づき、本案訴訟の訴状に貼用すべき申立手数料について訴訟上の救助を付与する旨の決定をしたが、右決定には、同条本文に規定する「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」の判断を誤った違法がある。

一 訴訟費用、特に裁判所に納める費用の負担は、裁判制度を利用しようとする国民に課せられた公的義務であり、後に最終的な費用負担者が決定されるまでは、右利用者においてまず所定の訴訟費用を出損することとされている。民事訴訟法一一八条所定の訴訟救助の制度は、右の例外として一定の要件の下に、訴訟費用の支払を一時猶予しようというものである。したがって、経済的困窮のために裁判を受ける権利が不当に制約されてはならないことはいうまでもないが、他方、本来国民として負担すべき義務のけ怠が許されてよいはずはないのであって、訴訟救助制度の運用は、かかる観点からの調和を見いだしつつ、適正、妥当に行われなければならない。してみると、右の無資力とは、訴訟費用の負担が単に訴訟救助申立人及びその家族に経済的圧迫を強いるという程度では足りず、それ以上にその負担が申立人らの通常の日常生活(職業・身分を保つための最小限度の必要な生活(斎藤秀夫注解民事訴訟法(2)一五八ページ))を営む上で支障、困窮を来す事情となる程度の経済状態をいうものと解すべきである(東京高等裁判所昭和五一年一一月一八日決定・判例時報八四七号五四ページ)。

二 次に、資力の有無の判断に当たっては、民事訴訟法一一八条の解釈上無資力とは訴訟救助申立人及びその家族の生活を害するのでなければ訴訟費用を支払うことができない状態をいうと解されるから、訴訟救助申立人及びその家族の日常生活が訴訟救助申立人及びその家族の資力によって維持されている場合には、当然その家族の資力を合わせて考慮すべきである。したがって、訴訟救助申立人の配偶者に資力があるときはこれを合算すべきであるし、訴訟救助申立人の親・子女・兄弟姉妹が従前からその家族の生計維持のために資金を提供してきたときは、これらの者の資力をも合算すべきである(前記東京高裁決定、東京高裁昭和四八年九月二七日決定・判例時報七一七号一七ページ)。

さらに、このように訴訟救助申立人の家族が実際に生計維持費を拠出してきた形態の場合のみならず、親族法上訴訟救助申立人の扶養義務を負担する者であって経済的余力がある場合には、この者から日常生活の維持に要する資金の融通を受け得る可能性があり、かつこの者に右資金を拠出させることが社会通念上至当と思料されるから、この者の資力をも訴訟救助申立人の資力と合算して考慮すべきである。例えば、高令の訴訟救助申立人において、たまたま自力で通常の日常生活を営むことができる程の資力があったためにその扶養義務者が現実に生活維持費を拠出してこなかったが、仮に、何らかの事由によりかかる資力を減少ないし喪失させ日常生活に困窮を来したような場合には(高令者であればかかる事態は当然予想されるところである。)、訴訟救助申立人の子女・兄弟姉妹などの扶養義務者で経済的余力のある者は訴訟救助申立人の生計維持費を拠出してしかるべきであるから、この者の資力をも合わせて考慮すべきである。

そうすると、訴訟救助申立人とその親族が同居している事情及び生計を一にしている事情は、右親族が訴訟救助申立人の生計維持のための資金を提供していることを有力に推認させる事情であるが、訴訟救助申立人の訴訟費用の支払能力を判断するに当たって考慮すべき事情は決して右事情に限られるものではないのであり、広く訴訟救助申立人に対し、扶養義務を負担する者の資力をも考慮すべきといわなければならない。

三 以上のような観点から本件について検討する。

1 被抗告人らは、被抗告らがいずれも六〇歳以上の高令であり、訴外豊田商事株式会社(以下「豊田商事」という。)との主として純金ファミリー契約証券の取引により老後の生活資金として貯蓄していた財産を喪失し唯一の年金をたよりに細々と生活している、と申し立て、これを疎明するものとして被抗告人ら作成にかかる「豊田商事被害カード」(以下「被害カード」という。)、「破産債権届出書」各種年金の振込通知書などを提出している。訴訟費用の支払能力がないことの疎明は、本来訴訟救助申立人たる被抗告人の負担に属しているところ、以下に述べるとおり、右のような疎明資料によっては被抗告人らに訴訟費用の支払能力がないことの疎明がないというべきである。

(一) まず第一に、被抗告人らの申立て及び「被害カード」によれば、被抗告人らは豊田商事との主として純金ファミリー契約証券の取引により老後の生活資金として貯蓄していた郵便貯金・銀行預金・国債などを費消した結果、生活資金としての財産を喪失したとするものである。

しかしながら、被抗告人らの中には、純金ファミリー契約証券の取引額が一〇〇〇万円台に上る者も多く、最高額は三〇〇〇万円弱の取引を行っている者がいることからすると、右取引を行った被抗告人らは従前かなりの財産を保有していたことは推認に難くないところであり、一方、被抗告人らのような高令にある者が投機的な取引のために老後の生活資金をすべて放出するとは通常考え難いことであり、右取引のために費消したのは生活資金を除いた余剰部分と考えるのが、むしろ経験則にも合致するといわなければならない。そうであれば、被抗告人らが老後の生活資金たる全財産を喪失したというためには、銀行預金や郵便貯金の各通帳、国債などの有価証券の明細を示す証書などの客観的資料を提出し、被抗告人らがそもそも貯蓄していた財産はいかほどであったか及びこの財産をすべて費消したことを疏明すべきである。しかるに、この点に関しては客観的な疏明資料は全く提出されておらず、被抗告人らの主張に類すべき被害カードが提出されているだけであって、いまだ被抗告人らが老後の生活資金としての財産を喪失し無資力になったことの疎明がないというべきである。

(二) 被抗告人らは、被抗告人らが六〇歳以上の高令であって唯一の収入である年金をたよりに細々と生活している旨申し立てている。

しかしながら、年金の受給者が無職であるとはいえないことはいうまでもないし、国民の平均余命がのびていることから、年金受給者であってもより裕福な生活・生活費の一助・健康保持などのため短時間勤務あるいは臨時雇用として勤務する者が多くなっていることは公知の事実である。近時、六〇歳以上の定年制を定める企業が増加しているが(一律定年制を定めている企業は全体の70.3パーセントであり、この55.4パーセント以上の企業の定年が六〇歳以上である(昭和六〇年版国民生活白書第Ⅱ―二―二八図))、これは六〇歳以上であっても就業する者が多いことの証左である。したがって、被抗告人らにおいてもなんらかの就業により収入を得ている者があると推測できるところ、給与所得証明書、公的機関作成に係る納税証明書・所得証明書などを提出し、もって年金が唯一の収入であることを疏明すべきである。

この点に関し、被抗告人らのうち、file_3.jpg堤信子file_4.jpg福海壽file_5.jpg高見テルは給与所得証明書を、①福田伝次郎⑲棚瀬正勢file_6.jpg菊地義胤file_7.jpg地田泰治file_8.jpg中田静子らは確定申告書を提出しているが、確定申告書では所得金額についての具体的内容は必ずしも明確ではないし、④須佐常晴は昭和五九年度の納税証明書を提出しているにすぎないから現在無収入であることを疏明するものではない。右以外の被抗告人らは単に「被害カード」において「生活費の出どころ」が年金である旨記載しているのみであって、これを裏付ける資料の提出はない。そのうえ、被抗告人らが訴訟救助申立書において被抗告人らの収入金額であると申し立てている金額と被抗告人らが提出している年金振込書・確定申告書などの合計金額と「被害カード」の年収欄に記載している金額を比較すると、別紙1記載のとおり、その大半が一致しないのであって、これは、年金以外になんらかの収入があることを示すものにほかならない。

したがって、被抗告人らの収入は年金のみであることの疏明がないというべきである。

(三) 半数以上の被抗告人らは「被害カード」に「持家」と記載している。現在のように土地の価格が高騰している時において、持家を有していることは、かなり裕福な状況にあることを物語るものであると考えられるが、被抗告人らが所有する不動産の明細について疏明する資料はまったく提出されていないし、右事情にあるにかかわらず訴訟費用の支払能力もないことの疏明もなされていない。

また、被抗告人らは、その親族の有無及びこれらの者の資力について給与所得証明書や公的機関の証明書によって疎明すべきであるにもかかわらず、この点に関する疏明資料は全く提出されていない。

(四) 無資力の判断は、訴訟費用の負担が日常生活の維持に支障を来すかどうかという観点からなされるべきものであるから、被抗告人らの日常生活に要する支出の程度を問題にすべきであるが、この点に関する資料の提出は全くない。

(五) このように、被抗告人らの提出した疏明資料は、被抗告人らに訴訟費用の支払能力がないことの疏明に足りる資料とは到底いい難いものである。

2 そこで、被抗告人ら提出の疎明資料及び被抗告人らの住民票、戸籍謄本、固定資産評価証明書から、被抗告人らの訴訟費用の支払能力を検討する。

(一) 被抗告人らはいずれも預貯金、国債などの手持資金を「金」の購入資金に充てたものであって、手持資金の全額を喪失したとは考えられないところ、被抗告人らに対する訴訟費用救助決定額は別紙1記載のとおり、半数以上の者が五万円以下であり、最低金額は六三四四円(⑨荻上銀次、file_9.jpg佐治治子)と比較的少額である。

(二) 被抗告人らは別紙2欄記載の不動産を所有している。

(三)(1) 被抗告人らには別紙3記載の親族がいる。

(2) 被抗告人らの配偶者の年金も当然被抗告人らの収入と合わせて考えるべきであるから、被抗告人らとその家族が受給している年金額は別紙1記載の金額よりもはるかに多額である。ちなみに、厚生年金保険の場合、標準的な老令年金額は、現在三二年加入、夫婦で一七万三一〇〇円である(昭和六〇年版厚生白書)。

(3) 被抗告人らの別紙3記載の親族はその年令から判断して収入を得ていると一般に考えられる(昭和四四年四月一日以前に出生した者)。ところで、昭和五八年度賃金センサスによると、第一表産業計企業規模計年令計男子労働者の年平均給与額は金三九二万三三〇〇円である。被抗告人らの右親族について収入に関する疏明はないから、右平均給与額と同程度の収入があると推定できる。

(四) 一方、支出についてみるに、被抗告人らは六〇歳以上であり、前記のとおり、大半の者は子女などと同居し、半数以上の者が不動産(自宅)を所有しているのであるから、日常の生活費のうち衣食住に要する費用は不要かあるいは要したとしても少額であると思料されるのである。

ちなみに、基礎年金(老令基礎年金)の水準は、老後生活の基礎的な部分を保障するものとし、高令者の現実の生活費等を綜合的に勘案して支給されるものであるが、その金額は、原則四〇年加入で六五歳から月額五万円(夫婦で一〇万円)である(昭和六〇年版厚生白書)。上記のような被抗告人らの生計維持に要する費用を考慮するにあたっても、これを参考とすることができるというべきである。

(五) 右のような事由に加えて、例えば、次の被抗告人らには以下の事実を認めることができる。

⑤ 半藤美枝について

被抗告人は資産も収入もない旨の上申書(疏甲第八号証の一)を提出している。しかしながら、被抗告人は母、半藤ヨキと同居し、母の恩給と家賃・駐車料収入を生活費としている(疏甲第八号証の二)というものであるところ、半藤ヨキは、東京都渋谷区東四丁目三一番二三号宅地103.58平方メートル、同所所在家屋番号三一番二三号一(現況)鉄筋コンクリート造三階建居宅173.70平方メートルを所有しているから、右不動産の一部を賃貸し収入を得ていると推認できる。ところで、売買実例によると、渋谷区東四丁目九番七号の土地の時価は一平方メートル当たり八〇万円(昭和六〇年九月現在)、同区四丁目八番五号の土地のそれは一平方メートル当たり八二万七〇〇〇円(昭和六〇年一〇月現在)であるから、半藤ヨキ所有にかかる右土地の時価は八三〇〇万円を下らないことになる。被抗告人の資力を判断するに当たっては半藤ヨキの資力を合わせて考慮すべきことは前記のとおりである。

その他、被抗告人は、株の信用取引の経験がある(疏甲第八号証の二)というのである。ちなみに、証券業者のうち大手四社が株の信用取引をするのは現金・小切手若しくは有価証券で一〇〇〇万円程度の運用資金のある顧客であるから、株の信用取引をする者は、一般的に相当の資産を持っているといわれている。したがって、被抗告人においても相当の資産を持っているというべきである。

また、半藤ヨキの恩給を合算すべきである。

⑦吉葉正太について

被抗告人は、その長男と共有の自宅で長男の家族と同居しているのであるから、日常の衣食住に要する費用は単身生活の場合と比べて少額で足りると推測できるところ、少なくとも、厚生老令年金二二三万円余の収入がある。

⑨ 荻上銀次について

被抗告人は「長男(五五)二男(五三)の二人の倅はあるのですが、私の万一のときの葬儀費用は自分の手でと思い二〇〇万円を目標に郵便局の定額貯金に数年かけて一八〇万円程になった」(疏甲第一二号証の二)と述べているから、被抗告人には生計維持費以外に貯蓄をするだけの収入があると推測できる。しかして、被抗告人が破産債権届出額は一四二万七三七〇円である。

⑱榎本国次について

被抗告人は、別紙2欄記載のとおり数筆の不動産を所有しており、被抗告人だけの厚生老令年金が二一六万二七〇〇円であり、破産債権届出金額は二三九万九七四〇円である(疏甲第二一号証の一、三)。

⑲棚瀬正勢について

被抗告人の昭和六〇年分確定申告書(疏甲第二二号証の一)によると、被抗告人は、年金計二九二万七一五九円のほか事業所得(所得金額は二万三一〇四円であるが、収入金額の一割以下にすぎないし、この事業所得の具体的内容は不明である。)があるし、別紙2記載のとおり、不動産を所有している。また、被抗告人は株の信用取引の経験があるというのであるから(疏甲第二二号証の三)、相当の資産を持っていると推測できること前記のとおりである。そして、破産債権届出金額は四六八万五一六〇円であって、訴訟申立手数料はわずか二万三二六一円にすぎない。

file_10.jpg戸田慶二について

被抗告人は、年金五二万二二〇〇円のほか、駐車場収入一カ月一〇万八〇〇〇円(年間一二九万六〇〇〇円)があり、「生活はどおにかやっていける」と述べている(疎甲三七号証の一、二)。

file_11.jpg福海壽について

被抗告人は、東洋技術興業株式会社に勤務しているため、昭和六一年二月一日厚生老令年金二四四万八四〇〇円が支給停止になった(疎甲第四二号証の一、二)というのであるから、右金額以上の給与所得がある。また、被抗告人の妻及び長女に収入があることは明らかであるし、妻との共有にかかる土地は固定資産評価額で四五〇〇万円である。

file_12.jpg大井政子について

被抗告人は、年金計四八万二四三二円及び恩給一一五万四二〇〇円がある(疎甲第四四号証の一)。被抗告人は、「被害カード」の年収欄の記載を二重線を引いて削除しているが、この削除前の記載内容は「娘の  五、〇六〇、〇〇〇」とあるところからすると、被抗告人と同居している長女には五〇〇万円程の収入があると推測される。

file_13.jpg高見テルについて

被抗告人は富士薬品株式会社からの給与所得三九六万円があるが(疏甲第五〇号証の一)、同会社の所在地が被抗告人の住所と同じであり、被抗告人が六八歳の女性であることからすると、被抗告人は同会社の役員あるいは経営者であると推認できる。

また、被抗告人所有にかかる土地は固定資産税評価額で約二二〇〇万円、家屋のそれは約四二五万円である。しかして、被抗告人は、「当面使う予定のない貯金を解約したので経済的には困らなかった」(疏甲第五〇号証の二)と述べている。

(七) 以上の事由からするならば、被抗告人らが訴訟救助決定額の金員を支払うときは被抗告人らとその家族の生活に困窮を来すとは到底考えられないというべきである。

3 以上のとおりであるから、原決定は、民事訴訟法一一八条本文に規定する「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」の判断を誤っているものといわなければならない。

四 なお、付言するに、訴訟救助付与決定に対し、本案訴訟における相手方(以下「相手方」という。)は即時抗告権を有するものである。

民事訴訟法一二四条は「本節ニ規定スル裁判ニ対シテハ即時抗告ヲ為スコトヲ得」と定め、訴訟上の救助を与える決定(同法一一九条)を特に即時抗告の対象から除外していないし、しかも、即時抗告をなし得る者の範囲を何ら限定していない。旧民事訴訟法(明治二三年四月二一日法律第二九号)一〇二条一項は「訴訟上ノ救助ヲ付与シ又ハ其取消ヲ拒ミ若クハ費用追払ヲ命スルコトヲ拒ム決定ニ対シテハ検事ニ限リ抗告ヲ為スコトヲ得」と定めて、訴訟救助付与決定に対して抗告をなし得る者は国庫の代弁者の地位に立つ検事に限られるとの立場を採っていたのに対し、現行民事訴訟法一二四条が前述のとおり即時抗告をなし得る者の範囲につき何ら限定的な規定を設けておらず、また民事訴訟法一二二条が、訴訟上の救助を受けた者が訴訟費用の支払をなす資力を有することが判明し又はこれを有するに至ったときは、利害関係人が救助の取消し等を申し立てることができる旨規定しており、右利害関係人に相手方も当然含まれると解されている(大審院昭和一一年一二月一五日決定・民集一五巻二二〇七ページ)ことからしても、訴訟救助付与決定に対する即時抗告をなし得る者の範囲は限定されず、相手方にも右権利を認めるものと解すべきである。右のとおり、民事訴訟法一二二条、一二四条の各規定の文言上の解釈として、相手方に訴訟救助付与決定に対する即時抗告権が認められるべきであると理解されるばかりでなく、実質上の考慮からしても、相手方は訴訟救助付与決定について法律上の利害関係を有するものというべきである。すなわち、民事訴訟において当事者に訴状その他の書類に印紙を貼用させ、かつ攻撃防御に関する訴訟費用を当事者に自弁させている理由は、訴訟制度を利用する当事者に受益者負担的観点から費用を負担させるということに加えて、これにより濫訴の弊を防ぐとともに、原・被告当事者の利益を平等に保護する趣旨に出たものであるところ、一方当事者に訴訟救助付与決定をなすことは、右当事者をして相手方当事者より訴訟遂行上有利な立場に置くことになり、相手方当事者はこれにより直接不利益を被ることになる(前掲大審院昭和一一年一二月一五日決定)のである。これを具体的にみると、民事訴訟法一一八条の要件を欠く訴訟救助付与決定がなされたとするならば、相手方は、いわれのない濫訴に対応を余儀なくされ、また、印紙不貼用を理由として訴え却下の判決を求め得なくなるのであって、かかる相手方の不利益は正に法律上の不利益といわなければならない。したがって、訴訟救助付与決定に対し、相手方は、即時抗告権を有するものと解すべきである。そして、右は、裁判例及び学説の大勢でもある(前掲大審院昭和一一年一二月一五日決定、名古屋高等裁判所金沢支部昭和四六年二月八日決定・判例時報六二九号二一ページ、東京高等裁判所昭和五四年一一月一二日決定・判例タイムズ四〇一号七二ページ、最高裁判所事務総局刊・民事訴訟における訴訟費用の研究一三二ページ、菊井維大=村松俊夫・全訂民事訴訟法Ⅰ六二九ページ、野間繁「訴訟救助の決定と相手方」・民商法雑誌五巻六号一一六ページ等)。

以上のとおりであるから、本件訴訟救助付与決定に対し、抗告人が即時抗告権を有することは明らかである。

五 よって、本件訴訟救助付与の申立てを認容した原決定には、民事訴訟法一一八条の訴訟救助付与の要件についての判断を誤った違法があるから、その取消しと右申立て却下の裁判を求める。

別紙意見書

被抗告人等は、抗告人の昭和六一年七月二五日付抗告理由補充書によると、抗告人は「訴訟費用ヲ支払フ資力ナキ者」についての原決定の違法を主張するので、この点について意見を述べる。

第一 総論

一、民事訴訟法第一一八条の立法趣旨

1、本条は、憲法第三二条、同一四条の規定に基づき広く国民に対し平等に裁判を受ける権利を実質的に保障するために認められたものである。国家観が夜警国家から福祉国家に移行するに従い、国民の基本的人権も国による積極的保障が要請されるに至った。

裁判を受ける権利についても、従前は訴訟救助について単に「貧困者に対する国の恩恵的制度」であったが、前記のように福祉国家を理想とする我が憲法の下においては、国が訴訟費用を負担することこそ国民から裁判権を信託された国の財政上の義務と考えるべきである(東京地方裁判所昭和四八年二月二三日決定判時七〇九―六〇同旨)。単に貧困者にのみ訴訟救助を付与すべしという見解は、憲法三二条の裁判を受ける権利を実質的に保障したことにならず、それは福祉国家の理念にもはんする。

2、抗告人は「裁判所に納める費用の負担は裁判制度を利用しようとする国民に課せられた公的義務であり」と主張する。無論被抗告人等も一般論としてこれを否定するものではない。前項で述べた理念にてらせば国家財政が許すものであればかかる公的義務は減少し延いては免除されるべき運命にあると言わなければならない。しかるに抗告人は右公的義務と裁判を受ける権利とを形式的に対等の立場で理解しその調和点を計る必要があるとするが、これは形式論にすぎない。

二、同法の「無資力」について

1、「無資力」については、何ら法律に特別の規定はないが前記立法趣旨を踏まえて理解すれば、「資力ナキ」者とは単に人間の生存を維持するに足りる最低限度の生活水準や社会保障における生活水準に満たない者を意味するのではなく、訴訟費用を負担することによって一般人として通常の生活をすることが妨げられる場合の生活水準にある者を意味する(東京高等裁判所昭和五一年一一月一八日決定 判時八四七―五四同旨)。

2、右に言う「通常の生活」とは、具体的事件につき国が訴訟費用の全部または一部を立て替え支弁するのを相当とする程度の貧困者(東京地方裁判所昭和四八年二月二三日決定 判時七〇九―六〇)であって、それは勤労者による平均収入による生活というべきである(東京高等裁判所昭和五六年一〇月一日決定判時一〇二六―九三)。

このような通常の生活を行っている者が訴訟費用を負担することによりその生活に支障がある場合同法の「資力ナキ」者の要件を充足するものである。

三、資力ナキ「者」について

1、資力なき者の範囲について抗告人は「申立人及びその家族の日常生活が訴訟救助申立人及びその家族の資力によって維持されている場合には、当然その家族の資力を合わせて考慮すべきである」と主張する。確かに一般論としては判例も認めるとおりである。

訴訟救助申立人とその配偶者の間については、夫婦間の特質を考えると特別の例外的事情が認められない限り抗告人主張のとおり家族(配偶者)の収入も合算したうえで無資力者かどうか判断すべきである。その意味では配偶者の収入は当然に申立人の収入に合算されるから、これを否定する者において反証すべきであろう。

然し、その余の家族については従来から家族全員の生活維持に拠出していたと言うような事情でもない限り救助申立人の収入に加えるべきでない。いわんや申立人と生活を別にしている家族については、その家族の収入を申立人の収入に合算すべきでないことは当然である。けだし、その家族は申立人に対し訴訟費用を支出するとの保証はなく、また扶養義務の内容として訴訟費用の支払いを要求することも無理であることを考えると、家族等の訴訟費用の援助がないと事実上申立人の裁判を受ける権利は奪われることになるからである。また本訴訟の特質は被抗告人等が老後の生活資金として家族に内緒に預貯金していた金員を根こそぎ奪われたものであって、多くの被抗告人等はその被害の事実を家族に内緒にしているのであるから、その被害の回復を求める本訴訟について訴訟費用の援助を家族に期待することはできないのである。被抗告人等がこの被害を家族に内緒にすることについて疑問を呈するかもしれない。しかし、これは現代の家族制度の実態を理解しない見解である。とくに核家族化が浸透し、老人ホームの増加が叫ばれている昨今において、被抗告人等が自らの生活を守るためにこのような行動に出たとしてもあながちこれを否定することはできない。

そして「家族全員の生活維持に拠出していた」かどうかは、訴訟救助に対し不服のある当事者(本件では国)が疎明すべきである。けだし、配偶者の場合とは異なり他の家族は扶養義務が認められているにすぎず、その扶養義務の中には当然には訴訟費用の負担まで含まれるとは考えられず、また、訴訟の結果について利害関係を有するともいえないからである。抗告人主張のとおり単に家族であると言うだけで当然にその者の収入まで考慮されるとすると家族の援助がなされないとすると申立人の裁判をうける権利が不当に侵害されるし、また逆に援助せざるを得ないとするとその家族の財産を侵害することに成り兼ねない。

2、抗告人は被抗告人に家族があると言うことのみ(疎明もその範囲でしか行っていない)を持ってその家族の収入まで申立人の収入に合算すべきであると主張する。然しながら前項で述べたとおり被抗告人等は、一人住まいが多く家族との生活は共同にしていない(この点は各論で述べる)ので、申立人が家族と生活を共同にしその家族の収入によって申立人の生活が維持されるという事情を主張し疎明しないで当然にその者の収入まで合算すべきであると主張するのは不当である。このことは東京高等裁判所昭和五一年一一月一八日決定(判時八四七―五四)の趣旨にも反すると言わなくてはならない。

3、更に抗告人は「経済的余力がある場合には、この者から日常生活の維持に要する資金の融通を受け得る可能性があり、かつこの者に右資金を拠出させることが社会通念上至当と思料されるから、この者の資力をも訴訟救助申立人の資力と合算して考慮すべきである」と主張する。これは以下に述べるとおり不当である。

ア、「資金の融通を受ける可能性」がある場合には、その融資者たる家族の収入も合算すべきであると言うが、前項で述べたとおりその融資が受けられない場合は申立人は訴訟を断念せざるを得ず、また本訴訟を家族に知らせたくないと言う被抗告人にあっては裁判を受けることが出来なくなる。一方では、私有財産制を基礎とした憲法が他方で福祉国家を実現しようとしていることに照らし合わせて考えると、抗告人の主張は他の家族の私有財産を奪ってまで裁判を受ける権利(福祉国家の実現)を計ろうとする論法にほかならず、これは右福祉国家の理念に反する。

イ、更に抗告人は「家族に経済的余力」があれば、その者の収入も考慮すべきであると主張する。しかし、他の家族についての経済的余力の疎明はなされていないし、また被抗告人等の家族にはそのような者はいないのであるから、此の点から考えても抗告人の主張は理由がない。

ウ、抗告人は「社会通念上至当と思料される」と主張する。

この点について判例は「訴訟費用を支払う資力なき者」の判定に当たっては、「申立人の資産収入の多寡にかかわらず、その生活の実態を直視して、それほど甚大な犠牲を払うことなしに、実際問題として、とにかく訴訟費用を出せる者といえるかどうか、気の毒な生活状況のため事案の性質上、国が立替え支弁するのが相当かどうかという観点に立って、諸般の事情を考慮することが、解釈論としても穏当であり、かつかような態度の方がむしろ国民感情にもマッチするのではないか」と判示する(東京地方裁判所昭和四八年二月二三日決定 判時七〇九―六〇)。従って、訴訟救助が相当かどうかの判断は、事件の性質、特質、被害の経緯、国の対応等を十分に考慮して決定すべきである。

本件抗告でも明らかなとおり、国は膨大な調査資料や調査能力、調査スタッフを備えている。にもかかわらず、豊田被害については数年前から被害救済等が叫ばれていたにもかかわらず、国は被害者に対する被害防止の啓蒙しか行っておらず、そのため今日のような被害が発生したのである。また被害者に高齢者が多いこと、その手口は悪質であること、被害額も高額であること、一人暮しの被害者が多いこと、全国に被害が発生していること、豊田被害が発生しているにもかかわらず国家は効果的な対策を講じていないこと等が考えられる。このような事情を考慮しないで福祉国家の財政上の義務と言うべき訴訟救助の有無を判断することは正に片手落ちの誹りを免れない。社会通念を持って判断する以上右事情も合わせて考慮すべきである。

四、「訴訟費用」について

訴訟救助における訴訟費用は、単に裁判所に納める印紙代に限定されるものではない。事件の具体的内容によって民事訴訟費用等に関する法律所定のその他の費用、弁護士費用、調査費用、資料代、謄写代、交通費、打ち合わせ会合費、事務連絡通信費等一切の費用を含むと解する(名古屋高等裁判所金沢支部昭和五三年九月一九日決定判時九二二―六五・東京地方裁判所八王子支部昭和五三年七月二一日決定判時九二四―八二・大阪地方裁判所昭和五三年七月二四日決定下民集二九―五―八―四九三)。訴訟救助を判断する上においてこれらの付随的費用の支出の有無も合わせて考察されるべきである。

五、結論

「訴訟費用(一切の費用)を支払う資力ない」者とは、訴訟救助申立人及びその妻(特別の場合を除く)にとって、勤労者の平均収入による生活を維持するのに支障をきたし、その為訴訟を遂行することが事実上困難になる場合であると考える。その他の家族の収入も合わせて考察すべきであると主張する者は、単に其の家族が存在することの疎明では不十分であり、進んで救助申立人と家族との関係(同居の有無、生活費の拠出等)を具体的に疎明すべきである。

第二、本件について(全般)

一、疎明の有無について

抗告人は被抗告人が提出した資料では疎明は十分でないと主張するが、それは以下の通り前提事実を誤認した立論であって採用できない。

1、無資力の有無の判断は、訴訟救助申立時点及びその後将来に渡った生活状況、収入、資産の有無等によって決定すべきである。過去にいくら資産を有したとしても申立時点でこれを喪失(本件では被害)しておれば無資産と判断しなくてはならない。過去に預貯金が有ったとしても被害の事実が疎明された以上現在は無資産者といわなければならない。本件では被害の事実は疎明されているのであるから現在では被抗告人等は無資産者である。無資産者であることの疎明は被害者カードで十分疎明されている。

2、また抗告人は「投機的な取引のため老後の生活資金をすべて放出するとは通常考えがたい」として疎明不十分の理由とする。

これは本件事件の特色を全く曲解しているのである。合法的な通常の投機的取引なら抗告人の主張も一理有るが、本件は豊田商法と言う不公正な欺瞞的な取引にて行われたものである。だからこそ国による被害者啓蒙や新聞、テレビ等の報道による被害発生防止にもかかわらずかくも多くの被害者、被害額を発生させたのである。このような取引の事実を持って異常、非合法と言わないで、国は何を持って異常、非合法と言うのであろうか。右の事実はすでに「勝訴の見込み」と言う点について疎明されているのであって、この点抗告人も争っていないのである。しからば、全財産が被害に遇ったと言うことも被害者カードで疎明出来ているといわなければならない。従って預金等の通帳の提出は必要なく、寧ろ反証として抗告人の方で提出すべきである(抗告人の調査能力を持ってすれば容易であろう)。

3、よって本件において疎明は十分と考える。

二、年金のみの収入について

抗告人は定年延長等から被抗告人らも何らかの仕事に就いているかのように主張する。しかし、平均年令や定年が延長されたとしてもこれだけを持って被抗告人等の就業を推認させるものではない。けだし統計的には非就業者が多いからである。

本件はすでに被抗告人等において必要資料が提出されているのであるから疎明は十分である。抗告人の主張はその資料を信用しないというにすぎない。

三、持家の点について

抗告人は不動産の所有明細について疎明資料の不備を主張する。しかし固定資産については、訴訟救助の有無の判定の基準とすべきでないことは札幌高等裁判所昭和四九年一月二三日決定判時七三四―六二・名古屋高等裁判所金沢支部昭和五三年九月一九日決定判時九二二―六五の認めるところである。最もこれらの決定は無限定ではなく「換金するときは生活を害することが容易に認められる場合」に限定している。

この決定を前提としても抗告人が主張する不動産はいずれも被抗告人が生活を維持するための資産であるにほかならない。従って抗告人主張の不動産を訴訟救助の有無の資料にしなかったとしても右決定に反しない。また、右決定以外の訴訟救助に関する決定を見てもいずれも不動産の有無は判断の資料としていない。これは社会通念からして訴訟費用負担のため従来より所有維持してきた不動産を処分してまで訴訟費用を捻出すべしと言うことが是認されないからである。更に生活保護においてすら生活の本拠たる不動産を売却しなければ生活保護を行わないと言うことはなく、いわんや前記のとおり訴訟救助は生活保護における生活水準より高いのであるからこれとの対比からしても不動産を考慮するのは不当である。確かに昨今の不動産の時価は高額である。このように高額になったのは国の政策によるところが多く単に高額だということで判断の資料にすべきであると言うのは相当でない。今日の物価変動、換金の可能性、時価と訴訟費用の対比、経済不安等を考えると国民感情からしてもこれを処分すべきであるというのは暴論である。

四、日常生活に要する支出の程度

すでに昭和五六年当時において、単身者における訴訟救助について年収三〇〇万円を基準にした訴訟救助の決定が下されている(東京高等裁判所昭和五六年一〇月一一日決定 判時一〇二六―九三)。本件はこれよりも更に五年経過しその間物価も上昇したときにおいて原決定はなされている。このことから考えると被抗告人等の生活状況を各別に疎明しなかったとしても日常生活に要する支出の程度は裁判所に顕著であるといわなければならない。この点に関する抗告人の主張は理由がない。

五、訴訟費用について

本件は被抗告人等に印紙代の貼付を要求されるばかりでなく当事者も多数であり代理人も多数である。その為、弁護士費用、調査費用、各当事者に対する通信費、交通費、ことに本訴被告等は全面的に争っているため破産管財人との打ち合わせ費用、全国に被害者が広がっているため被害者代理人との連絡打ち合わせ費用、被告所在不明による調査費用、権利実現の為の執行費用、控訴、上告審に移行した場合の費用等を考えると被抗告人等にとっては膨大な費用の負担が要請される。

このような事情をかんがえると、勤労者による平均収入による生活を維持するに足りる年収にプラス五〇万円を加味して考えるのが相当である。勤労者による平均収入は総務庁統計局家計調査年報(昭和五九年版三七二頁)によれば実月収四二万七九四四円とされている(3.79人)。従って本件訴訟救助の判断基準となる年収は四人家族で五〇〇万円、単身者で四〇〇万円が相当である。

六、平等に裁判を受ける権利

本件は全国に被害が発生した事件であって、本件と類似の訴訟救助は各地方裁判所で認められている。しかも疎明資料も本件と類似ないしは同程度である。これらの事件については訴訟救助が認められていながら本件について救助が認められないと言うのは憲法第一四条、同三二条に反するものである。

第三、抗告人の抗告権について

一、訴訟救助決定に対する抗告権は、本案の訴訟進行上実質的不利益をうける場合に限りその相手方に認めるのが相当である。本件抗告人の抗告は、実質上の不利益はないので本件抗告は却下されるべきである。

二、以下理由を述べる。

1、訴訟救助の制度は、対立する当事者間の紛争を解決する訴訟手続きとは異なり、国家と貧困者との関係において貧困者の裁判を受ける権利を国家の財政によって実質的に確保しようとするもので、本案訴訟の相手方を対立当事者として関与させるものではない。従って本案訴訟における相手方(本件では国)が単に訴訟上の当事者であるという形式的な理由で訴訟救助に関する決定に対し一律に抗告権を認めるにはその制度の趣旨に反するといわなければならない。

2、民事訴訟法第一二四条は、抗告人も主張する通り何らの限定文句はない。だからと言って当然にどんな場合にまでも本案の相手方が抗告権を有すると解するのは論理に飛躍がある。抗告人も指摘しているとおり旧民事訴訟法第一〇二条一項は検事に限り抗告権を認めていた。これが現行法に改正されたのは特に訴訟救助申立人の利益を保護するためであることは、立法者が「訴訟上の救助を拒んだり或いは取消したり或いは費用の支払を命じた裁判がありましたらそれは利害関係人からそれに対して即時抗告が出来るのであります。」と説明していることからも明らかである。この点から見ても本案の相手方の抗告権は制限的に即ち実質上不利益を受ける場合認めると解するのが相当である。また相手方の抗告権を認めない立法例もある。

3、実質上の不利益とは次のような場合である。

ア、原告が訴訟救助の付与を受けたため訴訟費用の担保供与義務が免除されることになるから(一二〇条三項)、被告が担保供与を申立て応訴を拒絶しうる場合には(一〇七条、一〇九条)将来の訴訟費用の償還請求について無担保で訴訟を追行することを余儀無くされる点で実質上の不利益がある。

イ、濫訴の防止の場合である。

ウ、その他これらに準ずる程度に実質上不利益をうける場合である。

4、抗告人の実質上の不利益の有無

ア、担保供与の場合

本件では原告等に担保供与の申立要件はないので、本件は右3項アに該当しない

イ、濫訴の防止

濫訴は、同法一一八条の「勝訴ノ見込ナキニ非サルトキ」の要件でその防止をはかっている。しかるに抗告人は「勝訴ノ見込」の有無について何ら抗告理由にしていないのであるから、本件抗告について実質上の不利益は無いと言わなければならない。

抗告人の主張は貼用印紙を貼るか否かにより濫訴が防止されるかのように主張する。確かに「勝訴ノ見込」について争うのであればその通りである。しかし原決定は「勝訴ノ見込ナキニ非ザルトキ」にあると考え濫訴に当たらないとして救助決定をしたものであるから、「勝訴ノ見込」について争うのであればともかく「無資力」について抗告し、濫訴の防止を主張するのは矛盾である。また「無資力」者であるか否かによって濫訴が防止されるとは通常考えられない。けだし訴訟費用は貼用印紙の他にも多くの費用を必要とするため貼用印紙を貼るか否かのみで濫訴の防止を図ることはできないからである。

ウ、その他これに類する事情も認められない。

エ、なお抗告人は訴え却下の判決を求められないことを持って利害関係があると主張する。形式的にはその通りであるが、これによって抗告人は何ら実質上の不利益を受けるものではない。

三、よって抗告人の本件抗告は何ら実質上の不利益を受ける理由が存在しないので却下されるべきである。

四、抗告権の濫用

本件決定はすでに救助相当と判断して行われたものである。これは原決定が本件事件の特色を十分に理解し早期に解決しようとしたものである。原決定が被抗告人の資力の有無の判断につき著しい判断の誤りがあればまだしも、無資力者の判断が相当の範囲内にあるにもかかわらず抗告人は一律に抗告している。しかも救助決定によって国は一時訴訟費用を猶予(後日敗訴当事者に請求)することになるが、これによって抗告人に何ら実質上の不利益を与えるものではない。本件訴訟は国の責任を問うものであるから国は正面からこれに応訴するのが真に紛争を解決する上で当事者に期待されるところである。

しかも本決定は抗告人に実質上の不利益を与えておらず、また訴え却下の判決を受ける地位についても本事案を考えると抗告人に抗告権を認めなければ著しく不公平になるとも考えられない。むしろ抗告を認めることによって被抗告人等の裁判を受ける権利が侵害される方が重大である。最近の新聞報道によると会計検査院の昭和六〇年度決算検査報告では「ムダ遣い」と指摘された金額は、一四六件で一九一億八八四七万にものぼり、しかもこれは氷山の一角とのことである(サンケイ昭和六一年一二月一二日夕刊)。一方国の本件抗告の対象たる貼用印紙額は二一一万円余であり、訴訟救助の性質上免除ではなく猶予にすぎない。彼比均衡を失すること甚だしいといわねばならない。

このような事情を考えると抗告人の抗告は、本案の解決を無意味に引き伸ばす程度の効果しか期待できないのであるから、抗告人の本件抗告は抗告権の濫用にあたる。

第四、個別検討

一、①半藤美枝

半藤ヨキの年収は金二四七万一〇〇〇円である。内訳は恩給と賃料収入である。抗告人が主張する不動産はいずれも半藤等の生活の資金を得るための不動産であってこれを売却すると直ちに同人等の生活の基盤を失う事になる。従って半藤キヨの収入を合わせ考慮しても訴訟費用を支払う資力はないといわなければならない。また信用取引の経験があると主張するが、それだけで同人に資産があるとはいえない。むしろ本件被害によってかかる資産も失ったものである。

二、⑦吉葉正太

確かに被抗告人は子供夫婦と同居しているが、同夫婦には子供が三人おりいずれも学費がかさむ年令にある。とてもその夫婦等によって被抗告人の生活を支えることは出来ない状況にある。従って同夫婦の収入まで当然に合算することは不合理であるといわなければならない。

三、福海壽

被抗告人は昭和六一年六月に転職し月収一〇万円となった。その他支給停止されていた年金が支給されるが現在その額は未定である。この収入を合算しても年収四〇〇万円には満たないものと思われる。

四、大井政子

被抗告人は娘と同居していても同人の生活が娘の収入によって当然に支えられているとはいえない。従って単に同居の娘がいると言うことで当然にその者の収入まで合算すべきであるといえない。

五、その他の被抗告人等について

1、抗告人は被抗告人に不動産があることをもって、資力の算定の基礎にせよと主張する。しかし被抗告人等の住所と不動産の所在地はほぼ一致している。これはとりも直さずかかる不動産は被抗告人等の生活の基盤をなしていることを意味する。またそうでない不動産についても被害者カードと対比してみるとその不動産から賃料を得ている。してみれば、抗告人主張の不動産はいずれも生活の基盤になっており、これを合算して無資力の判断をすることは第一で述べたとおり相当でない。

2、また抗告人は被抗告人に家族があることを問題とする。しかし単に家族があると言うだけでは当然に「被抗告人の生活がその家族の収入によって維持されている」とは言えない。抗告人の主張のみで「無資力」の要件を欠くと主張するのは論理の飛躍である。

第五、結論

いずれの観点からみても、抗告人の本件抗告は不当であって却下されるべきである。

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